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2006年1月18日 (水)

友の死を悼む

20年来、環境問題を通じて個人的な親交を深めてきた朝日新聞社の記者が亡くなりました。ここに慎んで哀悼の意を表します。

今年の年賀状では病魔と闘ってきて新たな人生を送りますとの力強いメッセージをいただいていましたのに、様態が急変されたようで、数日前に新聞紙面に訃報が掲載されてびっくりしました。

同新聞の『窓」に「友の死」が掲載されたのと、2月10日に「お別れ会」が催されますので、その報道記事を掲載します。

(窓・論説委員室から)友の死
2006.01.13 東京夕刊 2頁 2総合 (全681字) 

 「素粒子」はときに公私混同する。

 10日付最後の項に、「3日前、友を亡くす」と記し、漱石の〈生残(いきのこ)るわれ恥かしや鬢(びん)の霜(しも)〉という句を引いた。

 幾人(いくにん)かの人から、友とはいったい誰(だれ)のことかとの問いかけを受けた。私事で勝手な感傷(かんしょう)にふけるなんぞけしからぬといった詰問(きつもん)ではなく、どういう人だったのかと言ってくださる向きもあり、少し書く。

 鈴木規雄(のりお)という。社会部で一緒だった。

 中学で記者に志し、新聞が飯(めし)より好きな男だった。私のごときちゃらんぽらんではなく、何事にもきちょうめんだった。辛気(しんき)くさい警視庁の捜査2課をまじめに回り、世間を騒がせた旧KDD事件では、病院に雲隠れ入院した社長室長に接触せんと昼間のうち院内に入り込んで、夜が更(ふ)けるや病室へ向かい一問一答をやってのけた。

 命に関することとなると必死の面構(つらがま)えになった。六価クロム問題やダイオキシン問題をしつこく追った。酒も飲まぬくせに、まるで二昔も前の記者に似て、ほとんど家庭を顧(かえり)みることなく、深夜未明に帰宅してただ眠るだけという暮らしぶりであった。

 87年の憲法記念日に記者2人が殺傷(さっしょう)された阪神支局襲撃事件を機に始まった連載の「『みる・きく・はなす』はいま」に、記者、デスク、社会部長、大阪編集局長としてかかわった。「普通に暮らす人々の物言う自由は今あるのか」と問い続けた。結局事件は未解決で時効に至る。それでがっくりきたのかも知れなかった。鈴木は逝(い)ったが、連載は今年も続く。〈河谷史夫〉

朝日新聞社

鈴木規雄さんのお別れの会
2006.01.13 東京朝刊 35頁 1社会 (全83字) 

 故鈴木規雄さん(朝日新聞元大阪本社編集局長)のお別れの会

 2月10日午後6時から東京都千代田区有楽町2の5の1の有楽町マリオン11階「有楽町朝日ホール(スクエア)」で。

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